■ロッテ時代
■中日時代
■巨人時代
■日本ハム時代
■その他
巨人入団当時(94年)
「長嶋さんに憧れて野球を始めて、監督である長嶋さんの首を私が切ったら末代までのいい笑いものになるんで、そういう意味では監督をどうにかしてね、胴上げしたいと思ってますんで」

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巨人移籍後第1号
対横浜戦田辺
対ヤクルト戦山田
■94年10月2日(ヤクルト山田から決勝打)のインタビューを見る(1.1MB)
10.8決戦に臨む(左)。本塁打を放つも守備の際に内転筋を負傷し退場する。
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10.8対今中
日本シリーズでは初戦4番DHで出場。セカンドゴロ内野安打を放つ。

このシリーズでは4勝2敗で森西武を下し、初の日本一を経験した。

■94年10月8日(中日今中から)のムービーを見る(4.4MB)
通算記録ラッシュ
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通算2000本安打
通算2000試合
通算500号
通算1500打点
●2000本安打/1995年4月15日
●2000試合/1996年5月29日
●500号/1996年7月3日
●1500打点/1996年8月27日
落合のスゴイところが節目節目で必ずホームランを放っていること。プロ入りが遅かった落合は通算記録にはあまりこだわっていないように思えたが、40歳を超えて巨人入りした時期に記録ラッシュとなり、その記録達成時に自ら祝砲を放っている。その事実はおよそ偶然とは思えない……(500本安打/1000本安打/1500本安打/2000本安打、また1000試合出場/2000試合出場時も本塁打)。
2000本安打をホームランで決める。名球会入りを拒否するものの、やはり節目だけあってうれしそうな表情。ちなみにホームランを打った瞬間、本当に狙ってホームランを打てる男だと恐ろしくなりました。 ■96年5月29日2000試合出場(ヤクルト山部から本塁打)のインタビューを見る(1MB) ■96年7月3日通算500号(ヤクルトブロズから本塁打)のインタビューを見る(2MB)
96年巨人最後の年(リーグ優勝)
中日野口から左手小指にデッドボールを受けその後のシーズンを棒に振った。
打率は三割を超え、打点はタイトルを狙える位置にいるほどだったので(86)非常に悔やまれる打席だった……。
巨人を自由契約になる
「グラウンドで抱き合いましてね、そのときの笑顔も見させてもらいましたし、3年間2回も監督の笑顔見れたっていうのは、まっ自分のジャイアンツでの仕事はやり終えたんじゃないかなと、そう思ってます」

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